ミチスガラ

LDHアーティストが好き。色々書きます

『花束みたいな恋をした』の話

「女の子から花の名前を教わると、男の子はその花を見るたびに一生その子のこと思い出しちゃうんだって」

絹が麦にそう言った時、ハッと記憶が蘇った。

大学時代、当時付き合っていた人と河川敷を歩いていた時。草花を使った手遊びが好きな私が、柔らかいクズの葉を手で叩いて、鉄砲のような大きな音を出してみせたら、やり方を教えてほしいと言われた。

ポン、と大きい音が鳴るまで、一緒に練習した。

その人は喜んで「これ、将来こどもが出来たら教えよう」と言い、
私は「じゃあ、その時あなたは私のことを思い出すんやろうねー」と答えた。

その時は一瞬沈黙した後で、悲しいこと言うなよー!と冗談交じりに咎められたけど。
今はもう彼がどこで何をしているのかすら知らない。
でも、あの日話してた通りのことが、どこかで実現しているかもしれないな。
それを良いとも悪いとも、なんとも言えないが。

『花束みたいな恋をした』公開2日目の土曜日、初日に観に行けなかった悔しさを込めて朝一番に観に行った時の衝撃といったらなかった。まっすぐ帰る気になれず、難波をフラフラと歩き回り、長堀橋で落ち着いて、電車に乗って帰った。

今となっては非常に気恥ずかしいんだけど「最悪」「死ぬほど好き」と思った。

麦にも絹にも「何でだよ」「そうじゃねえだろ」と思ったりして、途中は観ていて大変つらかった。くわえて、あの最高で最悪のプレゼントのようなクライマックスたるや。朝からバタバタと出かけたためハンカチ類を忘れて来たので、それも含めて最悪だった。

ただそれでも、あのシーンまでに切り取られた数々の美しくていとおしい時間が、あの頃の二人が、心の中で輝き続けているのがわかった。最後のかわいらしいエンディングは彼らへのやさしい目線、そして祝福。でもそれも、絶妙な距離感と温度が保たれていて、なんとも言えない、グレー。「自由を手にした僕らはグレー」。そうだな、坂元裕二の少なくとも近年の作品はいつもそうだ。だから良いのだ。


大人になってから連ドラをちゃんと全編観ることなどほとんど無くなっていた私に、その面白さと楽しさと奥深さを教えてくれたのが『最高の離婚』と『問題のあるレストラン』だった。(それだけじゃなく本当にたくさんのものをもらった。特に『問題のあるレストラン』には。)

『Mother』『Woman』『それでも、生きてゆく』『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』...とにかく観れるものから観ていって、こんなにも優しく、凄まじく、つらくて暖かい、奥深く豊かな作品があるのか、と思った。何度も何度も、身を打たれるような衝撃と悲しみの中で泣いたし、一方で「私のことを知っている誰かに、心から優しくてしてもらっている」ような安心感の中で泣いた。好きなシーン、台詞、表情、宝物がどんどん増えていった。

2018年の舞台『また、ここか』を観に行った時も、やっぱり同じように、泣いて泣いてぐったりして終わった。終演後、本に坂元さんからサインをもらえる列があったので、思い切って並んだらその時点でもう泣いてしまい、自分の番になった時にはほとんど顔も見れないまま、伝えようと思ってたことも一切伝えられずよくわからない無駄話をして終わった。痛い思い出。

―—などと書いている私なので、麦と絹の好きなものに対する感覚はめちゃくちゃよく分かった(あの二人は『カルテット』を絶対観てただろう)。クソー!と憤慨するくらいに分かった。麦と絹のような人に対する坂元さんの目線をそこに感じて、悶絶した。

……とはいえ私はどちらかというと歌モノとかのポップな音楽が好きだったし、そこまでオルタナティブなものに傾倒していたわけではなく……むしろ、麦と絹みたいな人たちに対して謎の劣等感を持ったりしていた人間だったんだけ…ど…クソ!そんなことまで思い出さすな!!

ただ、そういう趣味が合って意気投合して「一緒にいて楽しいな」から始まる恋愛って、自分にもさんざん覚えがあって、日本中世界中どこにでもいるはずなのに、こうして「恋愛映画」として劇場で観たことって、なかった気がする。——ああ愚かしい、恥ずかしい、痛くて忘れたい!この映画を観てやっぱりそう感じることは変わらないのに、なんとなく少しだけ救われる。

冒頭に書いた、今見ると「ちょっとアレだな……」と思うような、私と元彼とのやり取りもそうだ。思い出は残る。あなたと連れ立って生きていくことがもうないとしても、あなたの思い出とともに生きている。それらを花束みたいにして、抱えて生きていくのだ。

いや、それにしても、麦が創作で食べていくのを諦めて過剰なまでに社会に迎合しようとしていくことで二人がすれ違っていく…という流れ、非常にしんどかった。過去の記事を読んだ方にはなんとなく伝わるだろうけど、麦と絹どちらの気持ちもわかるので。

麦は資質うんぬん以前にもうちょっとやりようあったかもしれない。でも何が正解かなんて一生わからないまま自分で一つ一つ選んでいき、とにもかくにも継続していくしかないという、あの孤独な闘いのつらさは多少わかる。

しかも麦は交流している人や環境もな……ちょっと良くなかったよな(本来それこそ人脈広げなきゃ!って話になるんだろうけど)。
あの、フォトグラファーやってる麦の先輩が言っていた「俺は○○さんっていうクリエイターに認められてる(から、俺はイケてる)」……うわぁ!リアルに聞いたことがあるセリフだ!こういう人めっちゃ居る!しかも恋人に平然と寄生しつつ奴隷か召使のように扱っており、なんならそのことをクリエイティブな男の甲斐性の一つとすら思っていそうな人。マジでそこら中にいるんだもんなぁ。

……なんだか自分の話ばかりしてしまう。
そういう種の素晴らしい映画だった。