ミチスガラ

LDHアーティストが好き。色々書きます

HiGH&LOWとLDHが教えてくれたこと⑤「横浜アリーナ・それから」

okome-saikyou.hateblo.jp

(↑前回記事です。)

 

2019年12月26日。
友人も私も大阪在住、そして仕事納めの前日であったため、夜行バスで行き夜行バスで帰る弾丸旅行でした。

 9.『ザワ』応援上映&PREMIUM LIVE SHOW in 横浜アリーナ

帰りのバスの時刻とスマホの電池残量を気にしながら会場に入り、会場のモニターに映し出される形での応援上映の後、ライブが始まりました。

THE RAMPAGEのメンバー以外に登場するキャストについて事前に告知されていたのは、以前に東京で行われた「キャスト登壇付き応援上映」にも参加していた方達のお名前、そして「and more...」でした。その詳細は依然伏せられたままでした。

「もしかしたら村山さんも…?」という望みがあったことがきっかけで申し込んだこのイベントでしたが、その頃の山田裕貴さんは連ドラ撮影や『ZIP!』パーソナリティなど大変ご多忙な様子で、イベント当日にもinstagramで撮影現場の様子をアップされていため、無理だろうな…と考えていました。

また、私達はこういったイベント自体にまだ不慣れで、LDHの規模感もイマイチ掴みきれていなかったため、どういう内容になるのかという事前の予想はまったくつかないままでした。

が、いざ始まってみると、それは一切の加減も容赦も無く贅沢な光景が怒涛の勢いで眼前になだれ込んでくるほぼ暴挙のような最高のイベントでした。

最初に登場してきたのは、作中屈指の人気キャラクターとなった小田島有剣役の塩野瑛久さんでした。きっちり鳳仙の制服を着て、劇中の容姿を限りなく再現してくださった塩野さんがステージに現れた瞬間この世の終わりのような爆音の歓声が上がり、「毎度、殺し屋鳳仙だす」という第一声の時点で会場内の熱が最高潮に達しました。流石です。

そしてその後すぐに、他の鳳仙四天王の方々も劇中そのままの容姿・キャラクターで、揃って出てきてくださいました。直前に映画を観たばかりの私達にとって、これからとんでもなく贅沢な時間が始まるということが、この時点で理解できました。

そして、最初のサプライズゲストとして上田佐智雄役の志尊淳さんが登場。会場内は惨劇と表現したくなるような物凄い悲鳴が渦巻きました。
そして鳳仙の方々が映画にちなんだ寸劇をしてくださった後、THE RAMPAGEが登場し、“SWAG & PRIDE”からライブが始まりました。

――ここからの私の記憶は、かなり断片的です。初めてできた「推し」と呼べる人、鈴木昂秀さんがステージ上に現れたからです。
鈴木さんが実在するということ、それも同じ空間に存在していることにとても頭がついていかず、目で追うだけで必死になってしまいました。
(今思い返してみても他のメンバーの方々の記憶が本当にわずかなので、大変にもったいないことをしたと思います……)

THE RAMPAGEのライブは、代表的な楽曲がメドレー形式で多数披露されるという、初心者にとってこの上なく嬉しい内容でした。あまり記憶が定かではないのですがスリーボーカルの皆さんは本当に音源そのままの伸びやかで洗練された歌声でしたし、パフォーマーの方々もファンサービスに富んでいて、ライブ映像を観た時にイメージしたままの一体感が常にありました。

途中でいったんTHE RAMPAGEがはけた後、新太役の矢野聖人さん、ジャム男役の福山康平さん、轟役の前田公輝さん(斬撃のような勢いで歓声が上がりました)が登場しました。また、THE RAMPAGEメンバーで鬼邪高生を演じている方々も急いで着替えて出てきてくださいました。

和やかな雰囲気の寸劇の後、最も予想外であったサプライズゲスト、DOBERMAN INFINITYの皆さんが登場し、泰・清一派のテーマ曲である“まだ足りねぇ”、そして山王連合会のテーマ曲“Do or Die”まで披露してくださいました。『ザワ』で使用されなかった曲まで聴けるとは思っていなかったので、これは本当に嬉しいサプライズでした。

その後、ハイロー関連楽曲を使用したパフォーマーショーケース(このとき一番最初に登場したのが鈴木昂秀さんだったことによりあまり記憶が定かではないので割愛)を挟んで、私の大好きな“FIRED UP”などを含め、アップテンポで盛り上がる曲がまたメドレーで披露されました。

アンコール前のラストは、鈴木昂秀さんがフィーチャーされる振付がある“WELCOME 2 PARADISE”でした。私は何かを通り越して無言で静止し凝視していました。

この時、帰りのバスの集合場所に辿り着くまでの時間が読めなかったため「アンコールの間に準備をしてもう歩き出した方がいいのでは…?」と私自身はかなり焦っていたのですが、友人が「もう1曲くらいは大丈夫じゃないか」と言ってくれたため、アンコール後も少し観て帰ることになりました。

本当に運が良かった……というより、つくづく友人には感謝しなければなりません。実際この時のことは後からめちゃくちゃに恩を着せられました

アンコールの後、会場が暗くなり、ステージ上にあるスクリーンでムービーが流れ始めました。それは村山さんを中心に、鬼邪高校の名シーンの数々を集めた思い出のアルバムのようなムービーでした。

それを観ていた私は、これがエンディングなのかな……?と少し戸惑いましたが、だんだんと胸が詰まっていきました。
それは、たった3カ月の出来事ですが、私の思い出でもあったからです。

HiGH&LOW THE WORST』という素晴らしい作品に私を繋げてくれて、横浜アリーナに足を運ばせるまでの感動を与えてくれたHiGH&LOW
3カ月前までは全く想像していなかった未来に自分が居るということを、改めて実感しました。

本当に、出会えてよかった。たくさんの力をもらってきた。
そう思っていた時でした。

あのゆるくて優しい喋り声が、聞こえてきたのでした。

みんな、ありがとね。」と。

 


数秒間、立ち上がることすら出来ませんでした。
うそだ、うそだ」とほとんど反射的に発してしまった自分の叫び声と、会場全体から轟いた大歓声が全身にビリビリと響いていました。

きっともう会えない。知るのが遅すぎた私には、会えるチャンスはもう無いのだと思っていました。

でも、決して近くはないけれどそう遠くないステージの上に、何度も何度も見てきたあの青いチェックのシャツ、スカジャン、バンダナ、そして本物の村山良樹の姿がありました。

(今思えば、そうでした。多忙な中でも、愛する作品と視聴者に向けて力を尽くしてくれる。山田裕貴さんはそういう人でした。)

村山さんは、今まで関わってきた人達の名前を挙げていき、そして会場の観客も含めて「ありがとね」と言ってくれました。

―――少しだけ、間が空いた瞬間がありました。
私は思わず、祈りや願いのような気持ちで、村山さんがいるステージに向けて全力で叫んでしまいました。
村山さん、ありがとう!
直後、私の周りや、少し遠い所からも「ありがとう」と声が上がりました。

どんどんこみ上げてくる感情が抑えきれなくなり、その後は、ただ泣くしかできなくなりました。

今の私に、一番力を与えてくれた人。憧れという光を与えてくれた人。
本当に本当にありがとう。村山良樹さん。

そして、「ハイローは卒業していない」と宣言してくれてありがとう。
また会える日まで、私はまた、あなたの背中を追いかけていきたいです。


(――尚、このあと泰志役の佐藤流司さんが駆けつけてくれたりキャストも含めた全員で“JUMP AROUND ∞”が披露されたりもしたのですが私はほとんどが涙で見えず、ろくに記憶に残すことができませんでした……

10.HiGH&LOWとLDHが教えてくれたこと

“盛り沢山”とかを通り越してもはや“破壊”と称したくなるくらいの豪華なイベントでした。終わった後、しばらく「一体何が起きたんだ……?」と二人で呆然としてしまった程でした。

その後、私たちは夜行バスで大阪へ帰って早朝に解散し、それぞれの日常に還り、2019年の仕事納めをしました。

そしてその日、仕事から帰宅してきた夜のことでした。部屋の中でふと落ち着いた瞬間、ふいに流れ出した涙を、私は止められなくなりました。

ずっと気が付いていたけれど、見ないふりをしてきたことがありました。

私は、作り手であった自分にずっと執着していて、なおかつ純粋な受け手というものを心のどこかでずっと下に見ていました。そんな尊大な気持ちを隠し持っていたからこそ、今の自分を否定することしかできなくなっていたのです。

でも、HiGH&LOWシリーズと『HiGH&LOW THE WORST』、そしてあの横浜アリーナでの夢のような体験が、私に教えてくれました。

受け手は、作り手と同じ輪の中に居るということ。
作り手が生み出したものから貰った力は、今度は別の誰かへと広がっていくこと。
そうしてその力は、巡り巡ってまた作り手に還っていくということ。

映画館でも、あの横浜アリーナでも、私達はただ受け取っていただけじゃなくて、大好きな作品がくれる力のサイクルの中に居た。そうやって、本当は何もかもが繋がっていた。たぶん大きく分ければ“愛”と呼ぶような、何か暖かな力を、ずっと渡し合っていた。そう思いました。

それから、少しずつ思い出していきました。自分が唄っていた時のことを。

「いちばん良かったよ」と言ってもらえたこと。
何度も、色々な場所へ観に来てくれるお客さんがいたこと。
嬉しい言葉をかけてくれる人達が、たくさんいたこと。
自分の音と言葉が「届いた」と感じる瞬間が、確かにあったこと。

もしかしたらあの時、私も誰かと繋がれていたのかもしれない。
私の歌を受け取ってくれた人達が、繋いだ力があったのかもしれない。

そう思った時、やっと今の自分のことを心から受け入れられたような気がしました。

創るということも、享受するということもきっと
その先にいる誰かと繋がっていくということだった。

HiGH&LOWシリーズに出会ってから、あの横浜アリーナまでの3カ月は、
最高の体験と共に、それに気が付かせてくれた、宝物のような時間でした。

私は今も貴方達が与えてくれた力をもって生きています。

村山さん、HiGH&LOW、LDH。ありがとう。